2016年10月21日

黒板書きと兜町


浴衣のきみは尾花の簪

熱燗徳利の首つまんで

もういっぱいいかがなんて

みょうに色っぽいね

            ー「旅の宿」作詞 岡本まさみ 作曲 吉田拓郎ー


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1920年代のアメリカにジョセフ・ケネディ(ジョン・ケネディの父親)とジェシー・リバモアという大相場師がいた。大恐慌時代に二人は巨万の富を築く。その一人ジェシー・リバモアは貧しい農家の生まれだが十四歳で家を出て株式仲買店(今の証券会社)に勤める。小僧時代の黒板書きからスタートし持ち前の卓越した相場観で伝説の相場師となったサクセスストーリーを読んだことがある。
日本で証券会社の「黒板書き」という職業は昭和四十年代まであった。
今でこそコンピューターにおまかせの株式売買であるが、アナログ一辺倒のその時代はすべて人の手で行われていた。証券取引所では場立ちと呼ばれる人たちが十本の指先や身振りで株式売買の仲介を行っていたのである。
そんな時代に私は池袋東口のN証券で黒板書きのアルバイトをしていた。営業部の正面にある大きな黒板の幅一メートル程の通路を行き来しながら短波ラジオから流れる株価の値動きを銘柄名の横にチョークで書きこんでいく。
当時場が立っているのは午前九時から十一時の前場二時間、午後一時から三時までの後場二時間の計四時間。その間営業部の人たちは黒板の値動きを睨みながらお客に電話を掛けまくり株の注文を取り付ける。

売買の注文を発注するかなめを「場電」という。取引所との直通電話で売買注文を行う重要な役割だ。大声で「ゴエンカイ、ゴエンカイ」などと、取引所の場の雰囲気などを実況しつつ営業マンの士気を鼓舞していたようでもあった。株の勢いがある日は営業マンは売買伝票片手に職場内を駆けまわりまるで戦場のよう、人気株が佳境に入ると店頭の客たちも一緒になって拍手の渦が店内に響きわたる。
うって変わって下げ相場の日はまるでお通夜のようであったが…。

当時の雑誌に「証券マンと銀行マンの見分け方」というシニカルな記事があったのを憶えている。
証券マンは、「髪の毛ぼさぼさ」「目が充血して血走っている」「吐く息が酒臭い(二日酔い)」「背広・コートがヨレヨレ」「ズボンに折り目がない」「靴の底がすり減っている」などなど惨々な評で、片方の銀行マンは全く非の打ちどころがない。
勿論今は証券マンも銀行マンも、外見ではほとんど見分けがつかないと思うが、それはそれで「株屋」という言葉がまだ生きていた時代ならではの面白い観点の記事だったと思う。
もしも私にジェシー・リバモア並の才覚があったとするならば、今頃は億万長者で左うちわ状態になっていたかもしれないが、生まれつき博才の無い私は相変わらずの貧乏学生だった。
ちなみに当時アメリカで黒板書きは「チョークボーイ」と呼ばれていたらしい。

株取引の中心地「兜町」。今ではもう見ることの出来ない光景だが、大勢の場立ちが大音響の中で行う立ち合いの風景、金と欲望が渦巻く街「兜町」を、古くは獅子文六の「大番」や経済誌の記者から作家になった清水一行の「小説兜町(しま)」などの小説でその雰囲気を多少味わうことが出来るかと思う。
作家の黒岩重吾も一時期ある証券会社の調査部に在籍していた体験から証券マンが主人公の「脂のしたたり」という小説を書き、後に田宮二郎主演で映画化されたと記憶している。
当時兜町界隈には何件もの立ち飲み屋があり、そこが投資家の情報交換の場でもあったと聞く。たまに株価を変動させたりしたデマなども、そのあたりが発信源だったのかもしれない。
あの頃何度か立ち寄ったあの「角打ち」の店はもうないだろうなぁ…と懐かしく思ったりする。


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posted by いこい at 06:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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