2016年10月27日

昭和の匂いー新宿西口小便横丁ー

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甚だ尾籠なタイトルで申し訳ないが、これも昭和四十年代の頃の話。
高校の先輩の世話で、日活の調布撮影所でアルバイトをした。役者ではなく裏方の仕事である。
昭和三十年代の日活は、石原裕次郎、小林旭の二枚看板でアクション映画の全盛期であった。その後浜田光夫、吉永小百合コンビの青春ものが大ヒットしたがそのあたりがピークだったのだろうか、四十年代に入ってからロマンポルノ路線に移行して昔の勢いも衰え始めていたちょうどそのころの話である。
仕事は撮影所内のセットの組み立てや解体作業の手伝いが主だった。事前に先輩から、服装は職人らしい格好で来るようにとアドバイスを受けていた。特に履物は必ず「地下足袋」を履いてくること、と念を押されていた。それには理由があって、学生アルバイトと職人ではギャラが格段に違う、だから絶対学生と名乗ってはいけないよ、というわけだった。たしかに一日八時間労働で私が今まで経験したアルバイトの賃金をはるかに上回っていた。作業は○○組○○班という十名位のグループでの共同作業である。作業内容はセットの解体作業、例えば家の大黒柱(べニア板で一見柱風に組み立ててニスを塗ってある)の釘抜き作業、女子供でもできる仕事だったが、私は班長に幾度となく怒鳴られた。「オイ、もっと時間をかけてゆっくりやれ」これには私もいささか驚いた。通常は「遅いぞ、もっと早くやれ」と怒鳴られるのがアルバイト稼業では当たり前だと思っていたのだが…。釘一本抜くのに数倍もの時間をかけるのもなかなかシンドイ。よっぽどヒマだったのだろうか。(笑)
しかし現場はそうそう甘くはない。次の日は班が変わって瓦葺きの作業だった。セットの屋根の人に下から瓦を一枚一枚放り上げる。しかし屋根葺きの人の速さが半端じゃない。放り上げたかと思うともう手を差し伸べて待ち構えている。私のとなりではベテランが私の倍以上のスピードで飛ばしている。ついに屋根の上からキレた職人の大声が飛んだ。「オーイ若ケーの。もっと速く放ランかー!間に合わねーぞコラ!」
お金を稼ぐのは楽じゃ無いな。地下足袋履きの学生アルバイトは真実そう思った。

昼休みの撮影所の食堂は大勢の人でごった返していた。役者も裏方も、私が想像したよりは幾分粗末な大食堂で食事をとる。先輩と私はうどんを注文して木製の長いテーブルについた。さあ食べようかと箸を持ったその時、こちらのテーブルの方向にうどんをかかえた二人の着物姿の女性が向かってくるのが見えた。
まさか、いやそのまさかが本当に起こってしまうのである。
二人は「吉永小百合」「松原智恵子」間違いなく本物である。そして二人は本当に私たちの正面に腰を下ろしたのである。
私の心臓はパクパク言い始め、箸を持った体は完全に石像状態になってしまった。
興奮と緊張でふるえながらも私は音を立てないように慎重にうどんをすする。勇気を決して顔を上げた瞬間、私と吉永小百合の視線が合った。
瞬間吉永小百合が微笑んだ、イヤ正確には微笑んだかのようにように見えただけだったのかも知れないが。
ほこりだらけで地下足袋姿の私は、まるで天国にいるような気分に酔い痴れていた。
私の人生の中で有名人と会食(?)を共にしたのはあの時が初めてでおそらくは最後になることだろう。

私はことあるごとに、この燦然と輝かしい経験を酒の席で持ち出した。
「吉永小百合と一緒に食事をしたことがある」聴いた相手は目を輝かせ「へーホントかよ」と身を乗り出してくる。子細を聴き終えた途端、相手は「なんだ」と私に一瞥を投げるのだった。
しかし私の数少ない華やかな思い出の中で、あの時の「吉永小百合の微笑み」は終生輝き続ける「伝説」になってしまっている。

このアルバイトが終わった日、私はその日の給料を握りしめて新宿に向かった。
作業着に地下足袋姿で電車に乗るのもいささか勇気が要ったが、どうしてもその恰好のまま行きたいところがあったからだ。
新宿「小便横丁」である。正確にはションベン横丁、なんとも匂いのするイメージの横丁だが。
新宿東口を出て左に曲がると大きなガードがある。薄暗いガード下では数名の白衣姿の傷痍軍人がアコーディオンを鳴らしながら物乞いをしていた。ジメジメしたそのガード下を通る度にもの悲しい思いがこみ上げた。
ガードを過ぎて程なく坂道が見えてくる。そこには一瞬タイムスリップしたような空気を感じる世界が広がる。
つい先ほどまで日活の撮影所では、戦後の焼け跡闇市のセットでの映画撮影が行われていた。その風景と折り重なって見えた。
すでに薄暗い横丁にはいくつもの赤ちょうちんが光っていた。
以前誰だかと立ち寄ったことのある立ち飲みの店に入った。小皿にコップを乗せて販売機の下に置き、お金を投入するとぬるめの燗酒がコップになみなみ出てくる。ツマミが小皿に数種類並んでいた。
地下足袋姿で飲んだその日の酒の味は格段「存在感のある酒」で特別に旨かった。

新宿は当時若者の街として目まぐるしい変貌を遂げつつあって、小便横丁すぐ先の浄水場跡には小田急百貨店が新宿西口のイメージをがらりと変えてそびえたっていた。
昭和の匂い「ションベン横丁」はその匂いを今でもとどめているだろうか。
しかし今の私にそれを確かめる勇気はない。あの「時代の匂い」が私の中から消え去っていくのが怖いからである。
「ションベン横丁の匂い」も私にとっては、「吉永小百合の微笑み」と共にいずれ劣らぬ「時代の宝物」であり続けるに違いはない。

悩みつづけた日々が まるで嘘のように

忘れられる時が来るまで 心を閉じたまま

暮らしていこう

遠くで汽笛を聞きながら

何もいいことがなかったこの街で

  -詞 谷村新司 曲 堀内孝雄 「遠くで汽笛を聞きながら」-

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posted by いこい at 07:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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